外国株/アメリカ株/不動産投資 IT社長ブログ

外国株やアメリカ株 不動産投資で資産を増やしていきます。

ITバブル 後編

彼女の言葉を信じて僕は株を売りませんでした。
そのまま、2001年の後半に突入しました。当時は超就職氷河期でした。心のどこかで就職が出来なくても僕は1000万円あるんだ、と心の緩みがあり当時の就職状況も相まってあまりうまくいきませんでした。


そうしている間に!なんとITバブルが崩壊したのです。どんどんと買った株の価格は下がっていきます。(ちなみにまだその買った会社の名前を思い出せません。だれか心当たりのある会社の名前を教えてください!)


1000万円が800万になり、更に600万円になりました!
「もう、売りたいよ!」と彼女に言いました。
「今はストップ安だから売れない!待っていたら持ち直すかもよ!」と言われて、結局売りませんでした。彼女の言葉だから信じたのと、一度高い値段を見てしまったら、もしかしてその株はもう一度持ち直すかも、と人は思ってしまうものです。
結局、その株は最終的に200万円程度で落ち着きました。その辺りで値が付き、近辺をウロウロし始めたのです。(ちなみに、1株200万円では無く、20万円×10株でした)


僕は、2002年の1月に持っている株を全て売りました。祖父から貰った株200万円は1000万円になり、ITバブルが崩壊し結局200万円になったのです。


ここから学んだこと
1.売るべき!と思ったらすぐに売る。利確は大事。
1.人は一度良い思いをしたら、再び良い思いが出来ると甘い見通しをしてしまう。


これで僕の初めての株式取引の一連は終了です。手に入れたお金は無いです。全然増えませんでした。ただ、こんな経験をした大学生はあまりいないと思います。良い経験ができました。


ちなみに後日談を言いますと、2002年3月に大学を卒業した僕は就職で東京に行きました。本編で度々出てくる彼女とは2002年の9月頃まで遠距離恋愛で続いていましたが、距離には勝てず、別れてしまいました。

ITバブル 中編

彼女に薦められて、結局その株を150万円ほぼ全てを使って買うことにしました。
もちろん、IPO時に買うことは出来ないので、上場日当日に成行で買うことになりました。彼女から報告があり「買えたよ!この株を買えて良かったね。羨ましい」と言われました。何が羨ましいか訳が分からないまま、僕は頷いたのです。ちなみにこれは2001
年の夏のことだったと思います。記憶に頼って書いているのでもしかしたら違ってかもしれませんが記憶違いはご容赦ください。


その後、その株価がどうなったかというとどんどんと上がっていきました。
みるみる上がっていき、何回かのストップ高もしました。
そして、なんと!150万円投資したのが、評価額で1000万円!まで言ったのです。
大学生が1000万円持つ!!何でもできる気がしました。バイトもしなくて良い。
1日2食以上ご飯が食べれる(当時は食費を浮かすために1日1食のみで、自炊)
もしかしたら、憧れの車を持つ!ってことまで出来る、なんてことまで考えていました。


彼女に言いました「そろそろ、株を売ろうを思っているんだよね。もの凄い利益出ているし」
「えー、もったいないよ。まだまだ上がる可能性があるよ。売らない方が良いよ」と言われました。
僕としては、大学生にとっては非常に大金。ってか、この貧乏学生生活から抜け出したい、と思っていました。ただ、彼女は証券会社に勤めているのでそれの意見の方が正しいのではと思って結局、売ると言い出した時は結局売りませんでした。


この話は更に後日談があるので、後編で。

ITバブル 前編

証券会社で口座を作った僕は祖父がくれた端株の価値を確認してびっくりしました。
なんと、200万円!大学生にとっては超大金。本当に太っ腹に感じました。


まずは、貰った株の全部を売りました。そして何を買ったかというと、、、その時は何も買いませんでした。その時は大学生だったので、「このお金があればすごい豪遊が出来るぞ。我慢している外食も出来るし、びっくりドンキーにもたくさん行ける!!」とほくそ笑んでいたのです。貧乏な一人暮らしの大学生でした。当初の株式売買をして経済とは何かを学ぶためにと祖父に行ったことは実行されなかったのです笑。むしろ、自分の生活水準を上げるためにあれもできる、これもできると考えてしまったのです。


そしてそのお金は実際に少しずつ私の生活費に消えていきました。実際に200万円だと当時は、単元株だとあまり買えるものが無かったのです。当時の著名な会社(松下電器産業とかソニーとか東芝とか)は1000株単位での売買がほとんどでした。


そうして、残高が150万円ぐらいになったときです。当時付き合っていた彼女が証券会社に勤めていました。その彼女が「絶対にこの会社の株を買った方が良いよ!めちゃくちゃ上がるよ!」とおすすめをしてくれた株があります。もう20年前なのでその株が何だったのか覚えていません。たしか、赤字上場をして、業務は3Dの画像を作る当時は高度で高価なソフト会社だったような気がします。(もしこの情報だけでその会社の名前に心当たりがある方いれば、会社名を教えてください)僕はものすごいおかしな気持ち、納得が出来ない気持ちにとらわれました。(ん?赤字の会社だろ。そんな会社って上場できるの?てかそんな会社に何で皆は投資するんだろう。赤字が続くとその会社は潰れるよな)と考えたのです。


長くなったので続きは後半で

初めての株式売買ストーリー 後編

実家に帰省をしました。その前にIT企業がものすごい1株当たりの単価をつけていることを聞いた私はずっと株式取引をしたいと思っていました。


そして、実家に帰る時に祖父にお願いをしました「社会勉強、経済を学ぶために株式取引をしたい。もし株を持っているならくれないか」と。
そうしたら祖父は「今、いくらか持っているからそれをあげるよ。多分端株だけど」と言ってくれたのです。なんて、気前の良い祖父だ!とめちゃくちゃ喜びました。


その頃はまだ、株式が神で発行をされており、祖父は主だったものは証券会社に預けているものの、株式分割や配当で発行された単位未満のものを家に置いていたのです。
かなり前のことなのでうろ覚えですが、松下電器産業(現パナソニック)、大東建託、JR東日本だったと記憶しています。※ただし、全て当時の端株。


帰省を終え、一人暮らしに戻った僕は早速野村証券に行きました。
まだ、口座を持っていないことを伝え、持ってきている株を預け、そして、まずは松下電器産業を売りたい旨を伝えました。


これが私が株に初めて触れたきっかけであり、株式売買に足を踏み入れた経緯です。

初めての株式売買ストーリー 前編

私が初めて株式売買をしたことを話します。


私の大学、学部は経済、経営、情報を軸として色々なことを横断的に学べる学部でした。
比較的新設の学部で新進気鋭の雰囲気をもっていました。
入学する際にはappleのノートパソコン購入が必須、1990年代後半で当時は珍しい学部です。

今では当たり前ですが、課題レポートの提出は学部内LANで経由でするとか、調べ物は大学の図書館ではなく、Yahoo!で検索とか当時は本当に珍しかったのです。

ちなみにその時の使っていたブラウザはネスケ(Netscape Navigator)というものでした!!



大学の仲間と一緒にスノーボードに行った帰り道、同じ学部の先輩と話をしているとIT企業の話になりました。
「知っているか、お前が使っているYahoo!の1株は1億円するんだぞ。今はIT系、情報系はめちゃくちゃ注目をされているし、お金が集まってきているんだ」とその先輩が離されました。その他色々と話をしましたが、その言葉だけは鮮明に覚えています。
「1株が1億円???」じゃあ、個人なんて絶対に買えないじゃないか、と仰天をして、先輩に本当なのか再度聞き返したことを覚えています。


ちょっと長くなるので、続きは後編で。。。